교육·연구

번호 82
제목 화해라는 이름으로 가해지는 폭력 (서경식 발제문)
2008 9월 18 - 18:02 익명 사용자

[서경식과의 대화] 2008.09.05(목) 성공회대


화해의 폭력 (和解の暴力) 
서경식(徐京植, 東京経済大学)

 

 
 (1)「화해의 폭력」은 세계적인 현상



90년대 이후, 구 식민지 민중과 선진국(구 식민지 종주국) 다수자사이의 투쟁

2001년 ‘UN 다반 회의’와 “9・11”

과거 식민지 지배에 대한 “법적 책임”과 “도의적인 책임”(일본 무라야마담화, 1995)

“화해를 방해하고 있는 자는 완고한 원리주의자다”라는 담론. (이데올로기주의자, 윤리주의자, 도덕주의자, 이상주의자…)

피해자 측에게 ‘화해’라는 이름의 굴복을 강요하는 폭력*パレスチナ(팔레스타인)





(2)박유하(朴裕河) 『화해를 위하여(和解のために)』의 문제점



*김부자 “‘위안부 문제’와 탈식민지주의–역사수정주의적인 ‘화해’에 대한 저항”

用語の誤用(補償と賠償)、事実誤認、恣意的引用(吉見、山田)

「사죄한 일본」과 「그것을 인정하지 않은 한국」과의 대립구도

「이미 사죄는 다했다」는 일본 우파의 주장을 대변

「위안부 문제」의 왜곡과 부정

지원운동을 부정 「정대협(挺対協)」「바우넷VAWWNet」

한국 내셔널리즘 비판 (식민지주의 비판의 결여)

(우에노 치즈코上野千鶴子 批判)



주어(主語)가 항상 「한국」



「これまで韓国では、どのような問題であれ常に『反省なき日本』と考えられがちだった。その理由の一つは、日本の右派の発言と行動の背景に日本の戦後教育と教科書に対する不満があったという事実についての理解が欠如していた点にある。……しかし、新しい日本を築こうとした人々、いわゆる『良心的知識人』と市民を生んだのもまた、ほかでもない戦後日本ではなかったか。そうである限り、そして彼らが少なからぬ影響力をもつ知識人であり、また市民の多数を占めていることが明らかである以上は、日本が戦後目差してきた『新しい』日本は、ある程度達成されたとみるべきであろう。そのような意味では、韓国における『反省なき日本』という大前提は再考されるべきである。」(p24)



「暴力と怨恨(원한)は、どちらか一方が断たない限り終わりはしない。そして暴力の環を断ちうる主体は、被害者の側である。その意味では、日本はアメリカを赦すべきであろうし、韓国は日本を赦すべきである。怒りは決して謝罪を導くことはない。……これまでの韓国の批判には、日本の戦後に対する理解が決定的に欠如していた。それゆえ日本の左派が「新しい」日本に変えるために努力を重ねてきた事実も、きちんと理解されたことはなかった。右派の抱く『無念さ』억울함, 원통함、つまり被害者意識が、はたしてどこに起因するのかについて真摯な関心をもつこともなかった。いわば左派の努力にも右派の被害者意識にも、きちんと向きあうことはなかったなかったのである。そして、そのように、相手に対する理解がともなわなかった韓国と中国の非難は、右派の反発をいっそう強める役割を果たしただけである。」(p220)



「ふたたび『植民地支配責任という概念』(板垣竜太)の定立が必要だとする日本知識人の主張は、倫理的には正しい。しかし、それ(朝鮮「併合」)が「法」的に正しかったとすれば、依然として韓国側にそれを要求する権利のないことは明らかである。だとすれば、1905年の条約が「不法」だとする主張(李泰鎮ほか)には、自国が過去に行ってしまったことに対する「責任」意識が欠如しているように、韓日協定の不誠実さを取り上げて再度協定の締結や賠償を要求することは、一方的であり、みずからに対して無責任なことになるだろう。日本の知識人がみずからに対して問うてきた程度の自己批判と責任意識をいまだかって韓国はもったことがなかった。そういう意味では、いま韓国が「第一に追求すべきこと」は、まずは日本よりも韓国自身を対象としたものになるべきだろう。」(p226)



「いまの日本を批判する人々は、日本の謝罪と正しい行動がなされないための不信というだろう。しかし、たとえ日本が国家補償を行い、天皇がやってきて韓国の国立墓地にひざまずくとしても、いまのような対日認識が続く限り、それを、諸外国に披露するためのパフォーマンスに過ぎないとする人は必ず出てくるはずである。不信が消えない限り、どういう形であれ謝罪は受け入れられないのである。

 ならば和解成立の鍵は、結局のところ被害者側にあるのではないか。ある意味では、加害者が赦しを乞うたかどうかは 용서를 빌었는지는 、もはや問題ではないとさえいえる。そして不十分な点はありながらも、大枠においては、日本は韓国が謝罪を受け入れるに値する努力をしたのだと、私は考えている。」(p238)



「いわば『被害者』としてのナショナリズムの呪縛(주박)から解き放たれるためにこそ自己批判は必要なのではないか?『赦し』は、被害者自身のために必要なのだ。怨恨と憤怒から自由になって、傷を受ける前の平和な状態にもどるために。」(p240)



(3)일본에 있어서 『화해를 위하여』의 소비와 이용의 구조



2007年 오사라기 지로 논단상(大仏次郎論壇賞、아사히신문사朝日新聞社)

이리에 아키라(入江昭)「歴史文献や世論調査などを綿密に調べた上で、説得力のある議論を展開している」

와카미야 요시부미(若宮啓文)「実証的に事実に向き合う知力と根気」



한국 내셔널리즘 비판의 담론이 일본에서 환영, 소비, 이용되는 구조

오선화(呉善花), 김완섭 등은 일본우파, 극우파의 수요에 대응

박유하는 일본 (보수)리버럴 층의 수요에 대응



 

(4)역사적인 문맥(歴史的文脈)



전사(前史)

일본 다수자들에 있어서의 “식민지 지배 책임” 인식의 결여

미국의 전후 점령정책 → 천황(天皇)을 이용하는 간접지배(천황제 민주주의) → 극동 재판에 있어서도 “식민지 지배”는 고발되지 않음. “전쟁 책임이 있는 자는 광신적인 일부 군국주의자들과 극단적인 내셔널리스트들. 우리 일반 국빈들은 그들에게 속았다」 → 천황과 국민을 면책(免責) → 일본 국민들의 자기 면책 → 「민족(民族)」의 (“모든 ‘민족’적인 사고 방식에 죄가 있다”는 식의 관념적인) 전면부정(마루야마 마사오丸山真男의 "전후계몽戦後啓蒙") → 보편적인 민주주의자로써의 자기상(自己像) 정립 → “아직까지 ‘민족주의’를 벗어나지 못하는 후진국 국민”에 대한 경멸(보편적 온정주의paternalism)



*타케우치 요시미(竹内好)와 아시아주의의 문제



 전후 일본은 「광신적인 군국주의」의 계속이 아니다. 그러나 다수자들의 ‘국민주의’가 관철되어 있는 국가(천황제 민주주의 국가)이며, 그렇기에 식민지 지배에 대한 인식도 반성도 극히 희박하다.

 *아소(麻生)は炭鉱主・麻生財閥の継承者であり、요시다 시게루(吉田茂)の姻戚



① 昭和天皇の死去 →リベラル派の天皇制との宥和、戦後史のナルシシズム的自己肯定

*徐京植「第4の好機」『分断を生きる』





②「戦後50年決議」

極右派(新しい歴史教科書をつくる会)の台頭と加藤典洋「敗戦後論」

国民基金へ

上野千鶴子らの韓国ナショナリズム批判 →普遍主義的無責任論

花崎皋平の徐京植批判



*徐京植・高橋哲哉「断絶の世紀 証言の時代」 →”단절의 세기 증언의 시대”, 삼인

*徐京植「母を辱めるな」 → “난민과 국민사이”, 돌베개

*同「‘日本人としての責任’をめぐって」『半難民の位置から』

*同「‘日本人としての責任’再考」同

*同「あなたはどの場所に立っているのか」同

*서경식 “일본 국민주의의 어제와 오늘”(2006. 11. 01, 전남대)



90년대 이후 일본 리버럴 세력들에 보수화와 자기붕괴





(5)화해의 폭력



진실-책임(누가 피해자며 누가 가해자냐)

–> 가해자의 사죄–피해자의 용서–화해

-> 가해자가 사죄하지 않을 경우–처벌



그런데,

지배층의 요구에 따른 사이비 「화해」 → 피해자에게 용서를 강요–진실의 은폐隠蔽–진실의 화해를 방해



朴裕河の日本側カウンターパート(카운터파트)は誰か?

国民主義を内在させた普遍主義的 리버럴리스트들(リベラリストたち)(朝日新聞)

사이비(似非)・내셔널리즘(ナショナリズム)批判と真のナショナリズム批判




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작성일자 2018-08-19
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